所以日本在1953年開始在各地陸海戰場收回陣亡人員.訓練艦日本丸的第一次遠洋任務就是到太平洋"南方八島"[*] 引取遺骨及慰靈.下面是朝日新聞登載的在東京港歡送出航盛況.其中有遺族代表2,000人,加上領先隊伍的500男童軍鼓笛樂隊吹奏"螢の光 [aka Auld Lang Syne]".日本丸預定航行51日,行程5,737海哩.
朝日新聞 東京版 昭和28年(1953年)1月19日 月曜日 12版 7面
日本丸あす出航 遺族2千の見送り受け
南 方 八 島 の遺骨引取りと慰霊に向う航海訓練所練習船日本丸(2, 284㌧ = 船長木村文治氏は、31日午後2時、全国数十万遺家族のおもいを乗せて東京港を出発、当日は陸と海に盛んな歓送が行われる。
出港を前に午後零時45分、宇野南方派遣団長以下18人の派遣団員、更に木内船長以下職員、練習生など約180人が甲板に集合、石井運輸相は日本丸乗組員に対して、山県厚相は派遣団員に対してそれぞれ壮行の言葉をおくる。そのころボーイスカウト東京連盟員約500人を先頭に約2000人の全国遺家族が竹芝サン橋に集り、ボーイスカウトの鼓笛隊が「ホタルの 光」を吹奏、2時(予定より1時間繰上げ)日本丸は岸壁を離れ、全航程5737カイリ、51日間の船旅に出る。
[*]南方八島: マーカス島 (Marcus Island)、ウエーク島 (Wake Island)、サイパン島 (Saipan)、テニアン島 (Tinian Island)、グアム島 (Guam)、アンガウル島 (Angaur)、ペリリュー島 (Peleliu) および硫黄島 (Iwo Jima) 。
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